人気ブログランキング | 話題のタグを見る

今かくあれども


さて、「スペインの宇宙食」のギラつきぶりとはうって変わってこの1冊、今かくあれども_c0051457_185556.jpg
メイ・サートンの小説「今かくあれども」であります。

メイ・サートン(1912-1995)はベルギー生まれ、
4歳の時に父母とともにアメリカに亡命した小説家・詩人で
エッセイや自伝的作品も多く発表してます。
邦訳はみすず書房からまとまってでていますが、
文庫とかにはなってない(はず)ので、あまり馴染みはないかも。

作品は若い頃から発表していますが、
その頃の作品はまだ読んだことがなくて、後期の、
老年期の作品の凛とした佇まいが好きで、
古本屋で見つけては買って、ぽつぽつ読んでいます。

代表作の「独り居の日記」なんかを読んでいると、
かなり感情の起伏(しかも老齢の孤独からくるもの)も激しく、
葛藤も多かったようなのですが、
花や自然とともにある孤高の生活と
文章の端々に現れる品格や表現の美しさには
(このあたり訳によるところも大きいのかもしれないけど)
いつかは自分にもやってくる老年期の姿として憧れるものがあります。
(須賀敦子とか辰巳芳子的な流れね)

「独り居の日記」をはじめとする日記的な作品は
けっこう観念的な要素が多くて、すらすらと読みにくいところもあるので
今回初めて読んだ小説であるこの本はもっとなのかなと
(ふつう小説よりエッセーとかの方がすらすら読めるじゃないですか)
思いきや、この小説は逆で、今まで読んだ作品よりずっと読み易かった。
小説として、構成づけられているからなのかな。

内容はちょっとショッキングで、
老人ホームに入れられてしまった元高校教師(つまりインテリ)の女性カーロが、
トランキライザーで老人達をおとなしくさせる、
つまり不平や反逆といった感覚を麻痺させてしまうような生活の中で、
最後まで自我を失うことなくいられるよう苦闘する姿が描かれている。
そのために自分で日記をつけることで、曖昧になりつつある記憶(要するにボケ)を
とどめておこうとするのだけど。
ホームの主人である太った母娘の横暴や、それを発端としておこる事件などから
徐々にカーロの精神が追いつめられるさまは真に迫る。
インテリのカーロが気に食わない女主人は
カーロに自分がボケていると自覚させるために、
カーロには記憶にない手紙を「届いた」と言ったりする。
そしてそれは真実なのか嘘なのかはわからない。とにかくカーロには記憶がない。
というエピソードなどは、本当にぞっとする。


  では私は、もうろくしているのだろうか。問題は、老齢とは自分がそこに
  達しないかぎり、おもしろくもおかしくもないこと。若い人はいわずもが
  な、中年者にとってさえ、老境とは知らない言語の語られる異国なのだ。


カーロの言葉が真に迫る。おそらくそのとおり、だからこそ。


『今かくあれども』(1973)
メイ・サートン 
武田尚子訳
みすず書房/1995

←menu