毒身てこういうこと?

何気にスルーしてましたが、先日誕生日を迎えました。
c0051457_23202842.jpgすっかりアラフォーですよ。
結婚して子供でもいればまた別なんでしょうけど、いい歳して独身だと
それなりにこれからの人生を考えてしまったり。。。なあんて一冊
星野智幸『毒身』を誕生日記念にいかにもタイムリーにレヴュー。

だいたい30歳過ぎて独身仲間が集うと一度はする
「このまま独身で老人になったら、みんなで一緒に住もうか~」っていう話。
そう『毒身』とは「独身は自分のアイデンティティを自分で支えているから、
ときどき自家中毒を起こす。その意味で独身とは毒身なのだ。」というわけ。

最初の短編『毒身帰属』(もちろん独身貴族のもじり)は
まさに毒身が自家中毒を起こす幻想譚で、続くメインの中編『毒身温泉』へのプロローグ。
『毒身温泉』は中庭にマンゴーの木が生え、ブーゲンビリア咲き乱れる古いアパートを
独身者専用の共同体にしようとするシキシマの口車にのって集まった男女の物語。
集まった男女には当然、それぞれに独身である過程があるわけで。。。
なにかにつけ調子のいいシキシマにのせられて集まったとはいえ、
そんなことでやってくるくらいだから、皆結婚したいとは思っていなくて、
むしろ結婚ということによらない生き方とか人間関係を摸索している。

読んでいて、二つの小説が思い浮かんだ。
c0051457_23233176.jpgここでも何回か書いている
ナタリア・ギンズブルグ『モンテ・フェルモの丘の家』と
アリス・ウォーカー『カラーパープル』。
この二つの小説も全然違うのだけど、『カラーパープル』を
読んでいるときにも『モンテ・フェルモ~』を思い浮かべた。

表面的には全然違う小説なのだけれど、なんていうか
家族なのに家族のように心を通わせられなかったりするのに
家族でもないのに家族のように在ることを感じたりするのがc0051457_23235534.jpg
いったいこれって何なのだろう、って思ってしまう。
(って文章にするとすごい陳腐、なんだけど。表現力なくてすみません)

親友の女性が置き去りにしていった赤ちゃんを育てようとするカジモト(男)
に請われて一緒に育ててみるのも悪くないと思うウエカワ(女)。
一緒にいることの幸福と、それが必然的に生み出す軋轢と陳腐さに逡巡するテンコ(女)とヨシノ(女)。
行き詰ったテンコは衝動的にウエカワを誘い、メキシコを旅するのだけど
その旅の描写には思わずこの小説を持ってメキシコを旅したくなるほど。

小説の読み方は人それぞれだから、この3つの小説を読んで
「どこが似てるねん(なぜか関西弁)!」と思う人のほうが多いかもしれないけど
(そもそもテーマが違うし、一般的な捉えられ方も違っていると思うし)
わたしというフィルターにおいては、似てる。
そんなわたしというフィルター自体がすっかり「毒身」なんでしょうけども。


『毒身』(講談社文庫/2007)
星野智幸


星野智幸は日本人作家のなかでは、今一番興味があって
全作制覇しようとゆっくり読み進め中。書こうとしていることの骨格の見える感じが
好みで、且つラテン風味がツボです。

あ、あと『モンテ・フェルモの丘の家』はちくま文庫が絶版な感じだったのですが、
池澤夏樹監修、河出書房の『世界文学全集』に入ってます、祝!
この全集の池澤夏樹のセレクトはほんと素晴らしい~!

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