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パリを離れてリスボンへ。エールフランスは行き先ごとにターミナルが離れすぎ~。
果たしてリスボンでも携帯は使えるかしらん。
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今回のパリ滞在である意味一番の目的(笑)、パリの街を走りました。
メトロで凱旋門まで行って、 シャンゼリゼ通り、チュイルリー公園を走って宿のあるバスティーユまでの8キロくらい。凱旋門とシャンゼリゼ観光はこれですませました~!
走っていると自分の街のような気分になるのが楽しい。
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20日からパリに来ているのですが、なんと携帯が使えることに気付いてびっくり!かなり前時代的なデザインですが、やるじゃん韓国LG製(見たことないとよく言われるけど)。
さて今回パリではキッチン付きのステュディオを借りて、自炊ライフにチャレンジ。今日は肉じゃが(笑)。市場で買った1枚200円くらいのステーキ用豚肉がすごい固そうだったんだけど、ぶつぎりにして入れてみたら柔らかくて味も美味しくてびっくり。恐れ入りました。
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さて、「スペインの宇宙食」のギラつきぶりとはうって変わってこの1冊、c0051457_185556.jpg
メイ・サートンの小説「今かくあれども」であります。

メイ・サートン(1912-1995)はベルギー生まれ、
4歳の時に父母とともにアメリカに亡命した小説家・詩人で
エッセイや自伝的作品も多く発表してます。
邦訳はみすず書房からまとまってでていますが、
文庫とかにはなってない(はず)ので、あまり馴染みはないかも。

作品は若い頃から発表していますが、
その頃の作品はまだ読んだことがなくて、後期の、
老年期の作品の凛とした佇まいが好きで、
古本屋で見つけては買って、ぽつぽつ読んでいます。

代表作の「独り居の日記」なんかを読んでいると、
かなり感情の起伏(しかも老齢の孤独からくるもの)も激しく、
葛藤も多かったようなのですが、
花や自然とともにある孤高の生活と
文章の端々に現れる品格や表現の美しさには
(このあたり訳によるところも大きいのかもしれないけど)
いつかは自分にもやってくる老年期の姿として憧れるものがあります。
(須賀敦子とか辰巳芳子的な流れね)

「独り居の日記」をはじめとする日記的な作品は
けっこう観念的な要素が多くて、すらすらと読みにくいところもあるので
今回初めて読んだ小説であるこの本はもっとなのかなと
(ふつう小説よりエッセーとかの方がすらすら読めるじゃないですか)
思いきや、この小説は逆で、今まで読んだ作品よりずっと読み易かった。
小説として、構成づけられているからなのかな。

内容はちょっとショッキングで、
老人ホームに入れられてしまった元高校教師(つまりインテリ)の女性カーロが、
トランキライザーで老人達をおとなしくさせる、
つまり不平や反逆といった感覚を麻痺させてしまうような生活の中で、
最後まで自我を失うことなくいられるよう苦闘する姿が描かれている。
そのために自分で日記をつけることで、曖昧になりつつある記憶(要するにボケ)を
とどめておこうとするのだけど。
ホームの主人である太った母娘の横暴や、それを発端としておこる事件などから
徐々にカーロの精神が追いつめられるさまは真に迫る。
インテリのカーロが気に食わない女主人は
カーロに自分がボケていると自覚させるために、
カーロには記憶にない手紙を「届いた」と言ったりする。
そしてそれは真実なのか嘘なのかはわからない。とにかくカーロには記憶がない。
というエピソードなどは、本当にぞっとする。


  では私は、もうろくしているのだろうか。問題は、老齢とは自分がそこに
  達しないかぎり、おもしろくもおかしくもないこと。若い人はいわずもが
  な、中年者にとってさえ、老境とは知らない言語の語られる異国なのだ。


カーロの言葉が真に迫る。おそらくそのとおり、だからこそ。


『今かくあれども』(1973)
メイ・サートン 
武田尚子訳
みすず書房/1995

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先週はパスポートの更新と同時に旅行チケット押さえやら、
仕事の手続き書類やらバイトやらで諸々慌ただしく過ごしているうちに3月であります。
3月20日からパリとリスボンを旅行することにしたのだけど、
暖冬の今年は東京の桜の開花予想がその頃で、今年は桜の見れない春になるのかな。

とにかくなんだかようやく一息、な感じなので
年が明けてからテスト勉強が本格化するまでに読んでいた
菊池成孔『スペインの宇宙食』について書こう〜〜。

猥雑で饒舌でノイジー。
20代に踊りまくっていたあの頃の『感じ』が自分のなかによみがえるような文章。
ふと、年末に日本橋のコレドで見て、
目を引きつけられたカルテルのテーブルを思い出した。
キッチュでゴージャスなプラスチックのテーブル。
神経症を発症する直前まで書かれていた文章は
食べ物のことに多くが割かれていて、だけどグルメ記とは全く違って
ライオンがシマウマをむさぼっているような本能的な感じと
グリーナウェイの「コックと泥棒とその愛人」のような刹那さが入り交じった感じがする。
これだけパーソナリティをなまなましく感じさせる文章って希有なのでは。

でもね、こういうのって長く続かないんだよね、
って菊池氏が神経症を発症したように、村上春樹も言っていたように、
三十路半ばの私も、思う。

ま、それとは別にして自分が長年思ってきたことと同じことが
書いてあったので、ちょっと書いておこうかな。

菊池氏のライブを観た若い青年から
「詰め将棋に勝って得意になっているだけだ」という批判メールが届く。
それに対して

  この青年の高いIQでさえ、最近の「勝ち負け」という概念の異常な
  跳梁によって、失調させられていると思う。彼の言うことは間違って
  いない。その通りだ。しかし、僕がここで言う詰め将棋に勝った、
  或いは負けたとして、それがいったいどうしたと言うのか?
  (中略)
  ついこの間まで、日本がポジティブシンキングだなどと言っていたので
  嫌〜な予感はしていたけど、強烈で分かり易い、つまりポップな勝利
  ばかりに人々が群がらなければ成らないほど、僕等は何に負け続けた
  のだろうか?敗北に対する病的な嫌悪傾向、勝利に対する病的な飢餓
  傾向は、いつでもブルーズの官能とユーモアを排撃する。負けてみなって。
  悪くないから。何度だって歌うつもりだ。

「負けず嫌い」が美徳とは思えない自分にとって、
BECKに次いでシンパシーを感じてしまいましたよ〜。


『スペインの宇宙食』(2003)
菊池成孔 
小学館


カルテルはプラスチックなだけあって、いまひとつ大味な感じが
拭えなかったのですが、このテーブルにはやられた。
プラスチックによる有機的造形が絶妙、綺麗。ぜひ実物をご覧あれ。
買えないことのない値段がまたまたキケン。
いざ買うとなったら色は死ぬほど迷いそうだけど。(写真のブラウンか赤だな!)


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