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しばしご無沙汰してしまいました。
6月から配属になって、何となく余裕のない毎日でしたが、
さっそく新しいプロジェクトなんかもあって
今のところ楽しく仕事してます〜。

てことで、久々に本のはなしを何冊かまとめて。

『山の音』 川端康成c0051457_1626348.gif

川端康成を読むなんて学生のとき以来?って感じですが
(しかも専攻のわりにはほとんど読んでない。)
なのに何で、これを?というと、かつて1969年に
当時イタリア在住だった須賀敦子がこの本をイタリア語に翻訳したから。
ずーーっと何年も気にかかっていながら、ようやく読んでみた次第。
翻訳の経緯も色々読んだ気がするけど、
『本に読まれて』の「小説のはじまるところ」という文章以外は
おぼろげになってしまっていて、まあかえってそのほうが
変な先入観がなくっていいかもと。

そして読んでみて。
すっごく日本的に繊細な小説だなあと。海外文学を読んでいると
ストーリーとしてはわかるんだけど、根底的なところに
理解できないところが常にあって(たとえば宗教観とか)、
その差異がやっぱり日本の小説では得られないおもしろさなんだけど、
逆にこの小説の世界ってもう50年くらい前で、
こんな世界ももはや日本にはないよ、って感じではあるんだけど、
それなのにやっぱり、わかる。

比較的淡々とした日常生活のなかで、主人公の老いに対する
思いを経にして、息子の浮気、嫁への淡い思い、娘の離婚といった
出来事が、「日本古来の悲しみ」を浮き上がらせていく。
繊細で上質な日本文学の世界。

そう思うと、この小説がイタリア人にどう読まれたのだろうと考えてしまう。
絶対本質的に理解できないとは思う。
だけど、それゆえに響くところも大きい気がする。
ちょうどギンズブルクの『モンテ・フェルモの丘の家』を再読したのだけど、
逆の意味で同じことを感じたりして。
「小説のはじまるところ」には後年、須賀敦子がイタリア人の新進作家に
「カワバタの小説を読まなかったら、ぼくは小説を書かなかっただろう。
彼の作品を読んで、書くことの冒険にぼくはのめりこんだ」とうちあけられた
エピソードがある。

まあノーベル賞をとっているわけですから。
この作品だけでどうこう言えないとは思うけど、自分の中では
合点がいった感じも。
そう思うと現在ノーベル賞にいちばん近い日本人作家といわれている
村上春樹には「本質的に理解できない」感はないよね。
アメリカ人とかヨーロッパ人が本質的に共有できそうな喪失感。
その超えてる感が、カワバタとはまた違った日本文学の双璧なのかな、
とも思ったり。

ひゃ〜、何冊かまとめて、のつもりが
これだけで長くなっちったので、いつになるやらだけどまた追って続きを。
7月恒例「北軽井沢マラソン」のレポも書かなくちゃ〜。


『山の音』(1957年)
川端康成 
新潮文庫


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