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さて、前作「裏ヴァージョン」が2000年だから、7年振りの新刊。c0051457_22251463.jpg
今年の6月までネット上で連載されていた「犬身」がついに出版された次第。

松浦理英子は一貫して、一般的な性愛の概念とは違ったかたちの人間関係の
ありようを描き続けている。この小説も変わらずその変奏曲であるといえる。
幼いころから自分の半分は犬だと信じ続けていた主人公、房恵。
陶芸家の梓と知り合い、梓と愛犬ナツの絆を知るにつけ、
自らドッグセクシュアリティと呼ぶ「あの人の犬になりたい」という欲望をつのらせる。
そして朱尾と名乗る謎の男に誘いかけられて、ついには犬になってしまう。

この感性、これぞ松浦理英子の小説世界である。
念願通り、梓の飼い犬となった房恵改めフサは犬として至福の日々を送るはず
だったのだが。。。。梓の家庭環境から事態は思わぬ方向に進んでいく。

房恵が犬になってしまったあたりまでは、
いかにも松浦理英子的な官能表現にさすが、と唸らされていたのですが、
物語の思わぬ展開に、全然別の意味で引きずり込まれてしまいました。。。
あえて具体的には書きませんが、ある意味すっごい通俗的な展開なのですよ。
止まらなくなって一気に最後まで読んでしまいました。。。
この通俗さはもしかすると小説家としての成熟というべきものなのかもしれないけど、
そっちに引きずられて、どうも犬としてのフサが表面的なものになってしまって
結末も含め最終的に中途半端な感じがしてしまった。
いや、小説としてはすんごくおもしろいですよ、
梓の家族の人物描写も巧みで、止まらない。たぶんこのほうが一般受けするだろうし。
でも、こういうおもしろさは私は松浦理英子には求めていないのですが。
もっと、大学の同級生の久喜とかの関係性を掘り下げていくとかのほうが
松浦小説としては深いものになったと思うけどな、と惜しまれます。

もし、確信犯的にこのような通俗的組み立てをしているとすれば
それはそれであるかもしれないけど、結局のところ「犬になった女性が遭遇した物語」で
終わってしまって、松浦理英子が挑み続けている本質的なところに及ばない気がしてしまいました。

*************

お祖母さんっ子などというのは適当に作った話だろうと察せられたけど、
写真の女性は何となく朱尾のほんとうの祖母と思えて、フサは「素敵な人だね」と
声なき言葉を朱尾に送った。朱尾は即座に返事をよこした。
「ヴァージニア・ウルフの顔写真を適当に加工して使ってる」
そう言われてもう一度見ると、なるほど、フラッシュという名前の犬の一代記を
書いた女性そっくりの面差しだった。フサは人間だった時に考えていたことを
話したくなった。
「この人が結婚した理由の一つは、ウルフっていう夫の苗字がほしかったからじゃないかな。
スペルは狼のwolfよりもoが一つ多いけど」

*************

ウルフと松浦理英子に何か通じるものを感じていたので、いきなりその名前がでてきて
どきっとしてしまいした。。。ちょっとシンボリックに深読みしたくなったりして。
記憶にないけど、もしかしてエッセイとか読み返したらでてきたりするのかしらん。
そのほかにも犬関連固有名詞続出ですが。イギー・ポップ「アイ・ウォナ・ビー・ユア・
ドッグ」とか10代のころ大好きだったので、なつかしかったなぁ。

『犬身』(2007)
松浦理英子
朝日新聞社

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本を読んでいると不思議とシンクロニシティをよく経験します。
c0051457_0164623.jpgでもそれは単なる偶然ということよりも
その方向に感覚が向いていることによって「気づく」ことなんだと思う。

なあんて書きながら今回はかなり偶然なんですが。
ふと思いたってちくま文庫のヴァージニア・ウルフ「オーランドー」を
9月くらいから読み始めました。初めてのウルフであります。
予想通りの手ごわさにちびちびと読みすすみながら、
途中仕事関連の本を読まなきゃだったりで、中断すること数度。

小説は16世紀、16歳の美青年オーランドーの物語で始まる。
「伝記作家」称する作者が随時登場しながら、
オーランドーのビルドゥングス・ロマンが語られていく。
コンスタンティノープルの大使となったオーランドーは公爵位を受けるが
その翌日から7日間の昏睡状態に陥り、目覚めたときに女になっていた。
そして、女になったオーランドーは女としての葛藤を一方では客観視しながら
結婚、出産も経験し、女流作家として名声を得て
1928年10月、36歳というところで小説は終わる。

300年以上にもわたる物語だったりすることもあり、
饒舌な語り口に歴史、社会、文学等々とにかく多様な要素がつめこまれているのですが、
女性になってからのオーランドーが
女性になることによって、異性の不可解さとか曖昧さから解放され、
人間としての普遍的な境地にいたるあたりでは
松浦理恵子的なものを連想したり。

読後、解説を読むと、全く前知識はなかったのですが、
オーランドーには女流作家のヴィタ・サックヴィル=ウエストという実在のモデルがいて
ヴァージニア・ウルフの同性愛相手だったそう。
名家出身のヴィタは結婚もして子供もいながら(ウルフも結婚していたけど)、
男装をして女性との烈しい恋愛沙汰を起こしたりと、かなり奔放な人物であったらしい。
解説にあるように小説『オーランドー』は「妻であり母でありながら、
スカートをズボンにはきかえて男になれる美しい同性愛者ヴィタが、
ヴァージニアの稀有の創造力を通り抜けて、神話的な両性具有のイデアに結晶した
稀有なラヴ・レター」であると思うとさらにこの小説の重層性を感じずには
いられませんでした。語り口が饒舌にすぎる感じもあるけど,
こんな才気ばしった小説がラヴ・レターであるなら、初対面でウルフにすっかり
まいっていてしまったというヴィタにとっては、この上もないことだったのでは。。。

で、読みながら松浦理恵子のことを思い出したので、
そういや連載の終わった『犬身』はそろそろ出版かしらん、と思って調べたら
どんぴしゃタイミング。さっそく読んだところヴァージニア・ウルフのエピソードが
ほんのちょっとだけだけど、シンボリックに出てきてさらにびっくり。
そんなシンクロニシティの『犬身』については次回に~。


『オーランドー』(1928)
ヴァージニア・ウルフ
杉山洋子訳
ちくま文庫(1998)

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