またまたJ-WAVEプラトンネタ笑。先ほど始まった今夜は「中野」。
みーが長年住んだエリアでございます。これも熱いよ笑。
会社が遠くなければ、引っ越さなかっただろうな。。。しみじみ。

思わず熱くなって、先ほどメッセージ投稿してしまいました笑。読まれたら笑える。

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ようやくだいぶ生活のペースが戻ってきました。
ま、相変わらずテレビはまだつないでいなくて、ラジオデイズなわけですが。

ウイークデイの22時からj-wave で「哲学バラエティ:プラトン」という番組をやっていて
毎日ワンテーマで哲学する(というほどでもなかったりするが)のですが、
今聞いた予告によると、今日のテーマは「餃子」らしいです笑。

知っている人は知っているでしょうが、
私の大好物は餃子です。
先週末もNOVさんとがっつりくらってきました。

ということでこの後じっくり聞いて、ネタを仕込みたいと思います。

ちなみにこの番組で今まで一番おもろかったのは
「妄想を哲学する:ゲスト関根勉」でした。関根勉のまさに暴走する妄想で超笑えました!
(別にお笑い番組ではありません)

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今朝、気持ちいい天気のなか、件の馬の骨をi-podで聴きながら
駅へと向かう坂道を下っていたら、急に思い到りました。

そうだ、この人っぽいんですよ。
c0051457_22345931.jpg


なんだか、空気感が、メロウな感じが。
ネッド・ドヒ二ー、1973年の1st。
1曲目の「FINELINE」はGREAT3もライブでカバーしていたんだよね~。

結局このあたりなんです、はい。
ってことで、今晩帰ってきてからネッド・ドヒ二ー祭りです。
3枚もってるアルバムはみんな好きだけど、
馬の骨にはこれが一番近いかな~。

Ned Doheny
「Ned Doheny」(1973)
Asylum

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ようやく、日々の生活のペースが戻ってきた感じで
ぼつぼつ走り始めたりしています。
まあ、まだ粗大ゴミ収集日まで部屋はいまひとつ片付かず、テレビもつなげないままだけど。
あったかくなって部屋に風が通るのが気持ちいいっす。

書きたいことはいろいろあったんだけど、実は携帯のカメラが壊れてしまい。
1.2日間で北欧とアジアの挽肉料理を食すツアーのこと
  (いや、要はIKEAと中華街1泊2日で食べまくり買いまくりのツアー)
2.「本のためのちいさな家具展」のこと
3.韓国ミリオネアツアーのこと
  (いや、要はソウル2泊3日でブランド品は買わずに150万ウォンも使った…)
とか、写真がないと臨場感ないよな~と書かないままずるずると。
余裕があったらあとでバックデートします!

で、最近は「馬の骨」。
c0051457_2337059.jpg2005年のアルバムですが、このメロウネスにやられてます。
キリンジのソロプロジェクトらしいのだけど。
前にCD屋でかかっている音楽に、おっ、と思ったら
キリンジで。それまで全く聴いたこともなかったんだけど。
個人的ツボのメロウさに、そのうち聴いてみようと思ってそのままになってたのです。

で、引っ越してからテレビをつないでいないもので、
すっかりラジオっ子になっているんだけど、
ある日、J-WAVEを流してて、おおっ、なんだこのレトロにメロウな音楽はっっ、と
あわてて調べたら「馬の骨」っていうアーティストの
「Red light,Blue light,Yellow light」って曲だった。
最近すっかり疎いもので誰それ?って思って調べたら
なんとキリンジのソロプロジェクト。不思議なもので耳が反応するものなんだな~。
ってことで、これは聴かなくてはと思ってようやくCDを買ったのですが。

…ツボすぎます。70年代のSSWと80年代のAORが2005年のフィルターを
通している感じというか(ちなみに声は堀江淳に似ている気がする)。
なんかアレンジとか、ううっアレの感じだよ~って
思うところ満載。で、若いのにこんななの?と思ってググってみたら
同世代なのね…。69年生まれの兄と72年の弟のデュオで、馬の骨は弟のソロ。
そもそも今更、全然知らなくてすみません、て感じですが。

っつうことで、部屋の窓を全開にしてこのアルバムを流して
コーヒーを飲むのが激しく気持ちのいい休日なのでした。いや幸せ。


馬の骨 『馬の骨』 (2005)

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ご無沙汰しているうちにずいぶん春めいてきましたねー。
2月に無事引っ越しましたが、まだ地に足がついていないというか
心のゆとりのない生活を送っている感じで、日記も書けず。

週末ごとに家具の配置をああしたり、こうしたりして
なんだかいっぱいいいっぱいで、走ったのも1回だけ(汗)。
でも都心なだけあって、走りどころ満載な感じ。
そういえば今日は東京マラソンだったんだよね。

桜が咲くころには、復活しなくちゃ。

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# by jack-hours | 2009-03-22 20:36 | run/走ること
年末に引っ越すかも、と書きましたが
予告通り?引っ越すことになりました。
手続き関係は大体すんで、いよいよ来週引っ越しです。
昨日、70枚の段ボールが引っ越し屋さんから届き、荷造り開始。
見積もりを何件かとったら、どこも「トラック1台じゃムリ、」といわれるって一体。。。

かなり衝動的に決めてしまった部屋なのですが、
坂の上、今度も古くて、またしても近くに公園と草野球場があります。
まあ、いろんな意味でインパクトはある部屋なので、
どんなものだか見に来てくださいな。
それにしても自分の人生における計画性のなさに思い到る次第。
部屋との出会いを恋愛にたとえてくれた友人も何人かいましたが、
まさにさもありなん。
さて、今度は一体何年住む(住める?)でしょう~~。

ところで、土曜夜20:00から、J-WAVEでやっている
テイ・トウワのラジオがお気に入りです。
その名も「NACHT MUSIK (ナハト・ムジーク)」ドイツ語で夜の音楽、ってことで、
ナイスなダンス・ミュージックがかかりまくりで、盛り上がりまする。
土曜の夜っていうのもナイス。
すっかり夜遊びはしなくなったけど、このあと踊るぞ~って
テンションあがる感じを体が覚えているというか笑。
昨日も荷造りの合間に聴いていたけど、「90年代のハウスを
振り返る」っていうことで、懐かし~な話が色々でした。

ナハト・ムジークといえばモーツァルトの
「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」というタイトルだけが
やけに頭にこびりついているのですが、ようやく後ろ半分の意味がわかりました笑。
前半分の意味、わかるかた教えてください~。

では次は新居から?かな~。

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で、「ぼくには数字が風景に見える」を読みながら、
これってナチュラルボーン多和田葉子じゃん、って思ったわけ。

多和田葉子の小説は、共感覚的な言語で成り立っているようなところがあって
c0051457_23564338.jpg例えばこんなフレーズ。

   「おまえの職業は何だって、よく聞かれたよ。鍛冶屋だよって答えてやった
    さ。家事の手伝いをしてたからカジヤ、それから子供の頃、火事が見たく
    て近所に放火したことがあるからカジヤ、それから、船の舵取っていたい
    からカジヤ。」
                        「ふたくちおとこ」より

「カタコトのうわごと」という初期のエッセイ集にはc0051457_23572582.jpg
ドイツに移住してまったく日本語を話さない生活をしているなかで、
言葉というものが解体してしまったこと、それが原点になっていることがわかる。

    日本語を全くしゃべらないうちに、半年が過ぎてしまった。日本語がわた
    しの生活から離れて行ってしまった感じだった。手に触れるものにも、自
    分の気分にも、ぴったりする日本語がみつからないのだった。外国語で
    あるドイツ語は、ぴったりしなくて当然だろうが、日本語が離れていって
    しまうのは、なんだか霧の中で文字が見えなくなっていくようで恐ろしか
    った。わたしは言葉なしで、ものを感じ、考え、決心するようになってき
    た。(そんなことは有り得ないという人がいるでしょうが、他にいいようが
    ないので。)もちろん、小説を書くどころではない。日記でさえ、当時書い
    たものを今読むと、意味の分からない箇所がたくさんある。

これってすごく過激なことじゃないですか?
(海外生活経験者なら少なからず体感することなのかもしれないけど。。。)
そしてダニエル・タメットの「おかしな話しかたはやめなさい」という
体験とびっくりするほど共通している。
こういう原体験からはじまって、ダニエルはマンティという言語を編み出し、
多和田葉子は日本語とドイツ語で小説を生み出している。
しかも、日本語を使うときとドイツ語を使う時では作風が違い、
ドイツ語でなければ書けないことがあるから、
日本語で書いた小説を翻訳してドイツ語の小説にするのではないという。
自作を翻訳したことはなく、翻訳は翻訳家に任せているそうだ。

     もちろん、ドイツ語で書くのは、わたしにとって、すごく大変ではあったが、
    小説を書くというのは常にすごく大変なことなので、語学の大変さだけを強調
    する必要もないだろう。もちろん、わたしの書くドイツ語は、ドイツ人の書く
    ドイツ語とは違う。ちょっと抜けている、つまずきそうな、変なドイツ語なの
    だろうと自分では思っている。だからこそ書くかいがあるのではないかとも思
    う。わたしは<美しい日本語>を信じないので、もちろん<美しいドイツ語>
    も信じない。そういう国粋主義的な発想を離れて、これからも日本語が母国語
    ではないのに日本語で小説を書く小説家がふえてくれればいいと思う。

「読めそうで読めない、読めなさそうで読める不思議な本」
多和田葉子の小説について書いたある文章で、このフレーズを読んだとき
まさにそのとおり!と思った。ストーリーらしきストーリーもなかったりして
よくわからないのだけど、なぜか読めてしまってその感じがクセになる。
言葉のうねりに巻き込まれて、酩酊する。
そんなときに言葉のシナプスが途切れて、ちょっとだけ共感覚的風景を感じているのかもしれない。



『ふたくちおとこ』(1998) 河出書房新社
『カタコトのうわごと』(1999) 青土社
多和田葉子


そんなこんなで10冊近く読んでしまった多和田作品。
お正月も、学生の時に読んで実家に残してある「犬婿入り」(芥川賞受賞作ですね)の
ハードカバーを15年ぶりくらいに読み返してみたり。
でも、乱読するタイプの本ではないので、もっとじっくりと読み返したいです。

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あけましておめでとうございます。
お正月は相も変わらず、駅伝三昧。(ただし今年は姪と甥の相手メインだったかも。。。)
年初に「走る」という泥臭くも美しい姿を見て
「ああ私も頑張って走らないと」と気持ちを新たにするのはいいものです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ということで昨年からの持ち越し、
読書会5回目にして、初のノンフィクション「ぼくには数字が風景にみえる」。c0051457_0105837.jpg
サヴァン症候群(レインマンとか山下清もそう)でアスペルガー症候群でもある
イギリス人の青年ダニエル・タメット。円周率を2万5千桁以上暗証し、
10か国語を話す彼が、みずからの生い立ちをつづった自伝であります。

自伝というだけあって、実際にカレンダー計算や暗算、言語習得の感覚など
わたしたちには想像もつかない天才的感覚が、図解なども交えて
本人の言葉で語られていて、対象がサヴァン症候群であったりするだけに
そういう本ってなかなかないのでは。
その感覚は、タイトルにもあるように数字や言葉を情感をもったものとしてとらえる
「共感覚」という言葉で表現されていて。例えば「素数はつるりとした形をしていて、
ざらざらした個性のない合成数(素数以外の数)と全く違っている。」とかね。

なかでも一番私が興味深かったのは、言語に関して。
そもそも言葉というもの自体が、ある物事をある言葉で表すという共感覚の一つであって、
わたしたちはそれを日本語として固定することで、
他者との会話などのコミュニケーションを図っているわけですが。
なんとダニエルはその共感覚でもって、10ヶ国語を話すだけにとどまらず、
「マンティ」という自分独自の言語を作り上げているという。
驚異的な記憶力でもって語彙は千以上、文法も練り上げ中とか。

言葉の共感覚は限られた音(おん)の組み合わせの中で、
日本語としてとらえたときは日本語であるし、同じ音でも外国語だったりすると
全然違うものとなる。私たちの共感覚は日本語の枠内で固まっているわけで、
外国語になれば、その共感覚はまったく別の枠になってしまうわけだけど、
要するにダニエルはその枠が解体されているだけでなく、自分独自に作り上げてしまっているわけ。
「とてつもなく強い感情を抱いたり、すばらしい経験をしたりすると、
それを表す新しい言葉が脳裏に突然浮かんできた」りして
会話のなかに造語を入れて、自分の思っていることを説明しようとしたりしても
理解されることは当然ながらなく、おかしな話し方はやめなさい、と言われたり。
そんなことを経て生まれたマンティは彼が内面世界を表現するときの
具体的な伝達手段になっているというのだから驚く。

と、ここまで読んで、稲妻にでも打たれたように激しく思い至ったのは
前にここにも書いた作家・多和田葉子のこと。すでに長くなったので続きは後編にて。

この本、本人の成長過程での悩みや葛藤、それを支える家族や周囲の人々のありようが
嫌味なく書かれていて、知ることが偏見をなくすことの第一歩だと思うだけに、
どっちが優れているということではなくて、別々の能力を持つ人間として理解できる
ということでも、とてもいい本だと思います。
(おそらくそういうヒューマ二スティックな捉え方が多勢だと思いますが。)


『ぼくには数字が風景に見える』(2006)
ダニエル・タメット
古屋美登里:訳 (2007)
講談社

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今年も残すところあと1日。
読書会のことを書いていたのだけど、うまくまとまらないので
来年にするとして。仕事は昨日までだったので、
今年は土日をはさんで結構頑張って大掃除をした。

引っ越しのことを書いたけど、わたしの部屋探しはいつも
「古くてもいいので広いところ」なので、当然ながら古い物件を
見て回ることになる。不動産屋さんで図面を見て、広さとか方角(絶対南向き)とか
家賃など条件の合う部屋を見に行くわけだけど、行ってみると
うわ、という物件もあったりする笑。築30年とか超えると
手入れの行き届き具合で俄然差がついてくるのがよくわかる。
理想は古くて手の行き届いている感じがするところなんだけど、
これは図面だけじゃわからないからね~。

ま、人間もおなじですよね。若さというそれだけで何でも許されるような
時期を経て、30とか40歳を過ぎると差がついてくる。
建物も新しいで許されるってのはあるだろうし、新築よりも
古くていい物件を見つけるほうが、難しい(気がする。人間もね)。
よく走りながら周りを見て「あ、こんな建物いいな」とか、イメトレしてます。

今の部屋も築35年と古いわけですが、割と手入れが行き届いている
感じがするのが気に入っていて、やっぱりそういうのって大事だよなと
引っ越すかもしれないのに大掃除、であります。

手入れの行き届いている、が本人ではなく部屋に向かうあたり
何かベクトルが違う感じがしないでもないけど笑、
まあ来年はなるべく本人も手入れを行き届かせたいですね。という締めで。

では皆様よいお年を。来年もぼちぼち書きますのでどうぞよろしく。

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# by jack-hours | 2008-12-31 00:09
今年の6月に始めた読書会も、6人が多忙な仕事のスケジュールをc0051457_23401080.jpg
合わせながらほぼ月イチのペースで開催、となかなか素晴らしい展開であります。
本の好みは必ずしも一致していないのだけど、皆さん結構楽しんでいるようで。
ということで時間がたってしまったけど
11月の第4回 課題図書:パトリシア・ハイスミス「太陽がいっぱい/リプリー」(角川文庫)
12月の第5回 課題図書:ダニエル・タメット「ぼくには数字が世界に見える」(講談社) 
のレポート。

ハイスミスは小説の風光明媚なナポリの舞台のイメージで
恵比寿のイタリアンレストランにて開催。
個人的には第3回で攻めたハードボイルドに対して、女流サスペンスを攻めようと
マイテーマを「各国女流サスペンス対決」に。
参考図書として
パトリシア・ハイスミス(米)「アメリカの友人」(河出文庫)
カトリーヌ・アルレー(仏)「わらの犬」(創元推理文庫)
ルース・レンデル(英)「死のひそむ家」(創元推理文庫)
と、時代も同じくする女流サスペンスも読んでみました。
あとアラン・ドロンの映画版も。(マット・デイモンのほうはレンタル中で見れず。。。)

ハイスミスはそれまで読んだことなくって、まあ推理小説でしょ、
前回のハードボイルドの如く様式美でしょ、くらいに思ってたら
S先輩から「全然違うよ、純文っぽいよ」といわれてやや衿を正して読む。
で、読んでみて。。。ハードボイルドとは全然違いました。。。

「リプリー」もその続編の「アメリカの友人」も、
まったく犯罪など思いもよらない普通の人、そのちょっとした心の葛藤の隙に
少しずつ犯罪が忍び寄ってくるさまは、
その心の葛藤に、「そうだよな~」と感情移入できてしまうだけに
これって誰にでも起こりうることなのかも、と思えてしまう。

「リプリー」での主人公トムの富豪の息子ディッキーへの羨望とも友情とも
同性愛ともつかない感情がもたらす緊張感。
「アメリカの友人」の死期が近いのではないかという恐れから
何事にも投げやりな気分になっていく額縁商のリーヴス。
このあたりの心理描写はほんとに絶妙。

でもこのような絶妙さというのはある種の冷徹なまでの残酷さの上に
なりたっているわけで。人間の弱さとかいやなところだとかをこれでもかと
見つめられないと書けないわけで、そのあたりにハイスミスの凄味を感じたのですよ。
そう思うとハードボイルドのカタルシスってすごくロマンチックと思うわけで。

そんなことを思いながら、アルレー「わらの犬」を読んだら、
これもまた凄かった。ハイスミスの絶妙さを取っ払って、これってあり?くらいの
容赦なきびっくり展開。「女の虚栄を完膚無きまでに書きつくした」などと帯に
書いてありますが、主人公の虚栄よりもアルレーの完膚無きさはほんとに驚き。

ということで、推理小説・ミステリーの巨大山脈のなかの砂粒くらいしか
読んでいないわけですが、女流ミステリ作家の怖さと男性ハードボイルド作家のロマンチックさに
思い至った第3、4回の読書会。長くなったの第5回はまた改めて。
レンデル「死のひそむ家」はそんなに容赦ない感じはなかったけど、
離婚した女主人公の心理描写はやはりうまくて、本格派といわれているのも納得。

あと、「アメリカの友人」はリプリーシリーズの3作目なのですが、
すでに犯罪者としての自分を受け入れているリプリーの存在を面白く感じ。。。
2作目から裕福な奥さんがいるのだけど、奥さんもリプリーが犯罪に手を染めていることを
知っていることがほのめかされていて、リーヴスの奥さんの正義感の強さとさりげなく対になっている。
読んでいるとどっちが本当に正しいのかわからないような気分になってきて。
くしくもM浦被告の事件があったりして、ああリプリーってM浦被告と似ているかも、と思ったり。
ヴェンダースの映画版も見てみたいな。

「リプリー/太陽がいっぱい」(1956)
パトリシア・ハイスミス

わたしが読んだのは角川文庫版。河出文庫版もあって、読書会メンバーで分かれたのですが
訳の印象が違うみたいです。

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