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突然の回線トラブルでネットにつなげなくなってしまい少しばかりの野性をpt5~08山中湖ロードレース編_c0051457_23375625.jpg
更新が遅くなってしまいましたが、今年で早くも3年目の山中湖ロードレース。
2月の青梅が雪で流れたので、今年初レースです。
が、予報はまたも雨。。。。

当日は小雨降る早朝、Yさんに自宅近くまで迎えにきていただき、
途中でIさんを乗せて、中央道で山中湖へ。
途中のサービスエリアでは雨も上がり空も明るく、
これは大丈夫かな、と思いきや山中湖はしっかり雨。。。

例年のバーベキュー会場で、とりあえず着替えて
傘をさしながら、レース会場に向かう。正直、どうしようかな。。。と本気で思う。
Iさんと、どうします?なんて弱気で話すも
Yさんは「私は走ります!」と力強く宣言し、雨の中でもすっかりアップモード。

走るのをやめたらしい、普段着のままゼッケンの入った袋を
持った人とすれちがう。気持ちが迷う。が、走るモードの人ももちろんたくさん。
ゼッケンを引き換えると、山中湖ランでいつもご一緒するHさんらと合流。
テントの下で雨宿りをしながら、「雨ですねー。」なんて言いつつも
すごいやる気、というわけではないがやめる気配はない。
一応ゼッケンをつける。
ここで誰かが「やっぱやめるわ。」と言えば、芋づるでやめそうな気もするけど
誰もやめるとは言わない。そっかー。

そうしてスタートの時間が近づく。
みんなテントの下をでて、雨の中スタート地点へ向かう。
まあ、ここまで来たんだし走るか、っていうか基本走りたいし、
というよくわからない決意をして、テントを出る。

思ったより気にならないな、雨。
歩きだしてすぐに、そう思う。さっきから弱くなったわけでもないのに。
普通だったら、傘をささずにはいられないくらいには降っているのに
走るモードになったとたん、はっきりと身体の感覚が変わった。

そして雨の中スタートする。
自分を含め、雨でも走る奇矯な人はたくさんいて
ロスタイムが6分近くにもなった。
走り出すと、ほとんど雨が気にならなくなる。
なんだか自分が雨の中でも活動している野生動物のように思えてくる。
幸いにもどしゃ降りにはならなかったっていうのもあるけど、
この感覚はちょっぴりタフな自分を発見したような気がして
悪くない。雨でも走れるんじゃん、私。

ピーカンで暑かった去年よりむしろ走りやすかったりして。
ま、その割にはゴールタイムはほとんど変っていなかったので、
劣化したのかもしれませんが(笑)。
でも雨の中走りながら、普段の生活をしていると
本来自分が持っているはずのタフさが呼びさまされるような、
その身体感覚はなかなか得難いものだな、と改めて思う。
だからやっぱり走るのってやめられない。

というわけで、改めて走ることに感じ入ってしまった今年の山中湖一周13.5km。
走った後はお風呂に入って恒例の宴会。
今年もIさん、Yさんありがとうございました!

5/25(Sun)  山中湖ロードレース

# by jack-hours | 2008-06-07 23:39 | run/走ること
会社のS先輩との読書談義が高じて、ついに社内読書会を開催することに(笑)。
「ジェーン・オースティンの読書会」のパクりで1か月1冊、
5人(しかし男性1人をいれる画策中)のホスト持ち回り。
行きがかり上、第一回のホストということになって、あれこれ考える。

 ・せっかくなので、海外文学で(どんなせっかくだ?)
 ・でも入手しやすい文庫本で
 
というのは条件にして、さて大御所にするかややマイナー系にするかおおいに迷う。
実は好きな本は文庫本になってなかったり、絶版だったりするので(笑)。
でも趣味のめちゃ合うS先輩はまあ何でも大丈夫として、
他のメンバー3人の好みは不明なので、誰でもそれなりに楽しめそうで。。。と、
4つほどの候補のなかから最終的にウェルベックの「素粒子」(ちくま文庫)にしました!
(誰もが楽しめるのか?という気もしないでもないけど。。。)
第1回は6月開催ですが、いやいやどうなることやら楽しみ。。。

で、それはそれとして先週、日本人作家2冊を連読したんですが。
阿部和重『アメリカの夜』
絲山秋子『袋小路の男』(ともに講談社文庫)
かなり今更感ありますが、どっちも初読。期せずしてこれがねーーーーっっ。
ちっと今回思いっきり「感想文」させてくださいッ!

まず『アメリカの夜』、94年の阿部和重のデビュー作なわけですが。
読書会と刺さる本_c0051457_2330378.jpgあのこれ、映画学校生とか美大生とかがでてくるんだけど、
某W大学某文学部90年代前半出身者の方が読んだら、間違いなく大笑いできます。
わたしは電車で読んでて、何度も吹きそうになりました。強烈なデジャヴ感。
ほんと総体としてこういう人ばっかりだったよなー、みたいな。
ひねくれた文体も思考回路もほんと「まんま」。
その切実さが転じて笑える感がかなり青春ノスタルジアをそそります。
Sホール、シードホール。。。それだけで懐かしいっしょ。
体を白黒に塗り分けた主人公、ってす○かわくん!?みたいな。

で、『アメリカの夜』を勢いづいて出勤時に読み終えてしまったので
帰りに会社最寄のBOOK OFF でさくっと読めそうなものをと
ゲットしたのが『袋小路の男』。これも違った意味で刺さり。。。

主人公の「私」がこれまた某W大学某文学部に超いがちな(ダメ)男に
読書会と刺さる本_c0051457_2331465.jpg高校時代から12年間、手も触れないまま思いを寄せ続け。。。という話なんですけど。
これもねー、なんかわたしって実は70%位はこういう要素でできているよな~って
これまた強烈なデジャヴだったわけ。
でも残り30%が超理性的なので、絶対こんな男は好きになったりしないし
そんな一途に思い続けたりも(たぶん)しないわけですけど。
NOVさんが体内に蛇を飼っているとするなら、
わたしの体内にはこの話の主人公がいます(笑)。
ということを我ながらイタいと思いつつ、気づいてしまいました。
ので、常にそばにおいて自戒の書としようかと思ったりして。

長くなってすみませんが、ジャコメッリのとこでも書いたけど
ここでもまた大学時代の感覚を思い出し、、、ってホントに怖いんですけど。

さらに話は最初に戻りますが、読書会の候補作として
トルストイの『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』(光文社古典新訳文庫)
も考えていたんですね。でもまあビッグネームだしな、と思ってやめたのですが。
そしたら『袋小路の男』のなか(というか続編の『小田切孝の言い分』)の
かなり印象的なシーンで『イワン・イリッチ(この本だとこの綴り)の死』がでてきて
これまたハッとし、さらに課題図書の『素粒子』も読み直さないとな、と
ぱらぱらしていたら『クロイツェル・ソナタ』を読んで。。。みたいなくだりを
発見したりしてシンクロニシティしまくり。

『アメリカの夜』も『袋小路の男』もほかに言いたいこともあるけど、
今回は内容そのものがあまりに刺さったのでここまでにしときます(笑)。
『袋小路~』を読んでみた方、怖がらないでくださいねっ!わたしは理性的な人です。
でも私のことをよく知っている人は「膝を打つ」かも。
『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』は気が向いたらレビュー書きます。
これも実は切実転じてなんだか笑えた。


『アメリカの夜』(1994)
阿部和重  

『袋小路の男』(2004)
絲山秋子
ともに講談社文庫

10年も違う小説を偶然つづけて読んで
同種のノスタルジアを思い起こさせるとは。。。恐るべし。本が呼ぶね。

東京都写真美術館にマリオ・ジャコメッリ展を見に行く。
須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』の「銀の夜」という章に
ジャコメッリのことが少し触れてあって、見ておこうと思っているうち
5月6日までなのにGWに突入してしまった。
ということで、ほぼ朝一に近い時間に恵比寿に向かう。
結構な入りで、見ている間もどんどん人が増えてくる。

1950年代から亡くなる2000年までの作品が展示されていたのだけど
あまり50年という歳月は感じない。
モノクロームの作品群は詩からタイトルをつけたものが多くて、
ふかく、静かに生を見つめて、たたずんでいる。

実はジャコメッリについては全然知らなかったのだけど、
1925年にイタリアの北東部、セニガリアというところで生まれ
印刷業を営みながら、アマチュア写真家としてほとんどの作品を
その街で撮り続けたという。
「同じように日本でも、ジャコメッリと同じ2000年に亡くなった植田正治は
山陰地方に根を下ろし、」という文章を読んではっとした。
ずっと昔の記憶が突然よみがえる。

大学3年の秋、私は思い立って山陰地方へ旅をした。
鳥取砂丘を見たかったのだ。それが後か先かはもはや覚えていないが、
植田正治の『砂丘』という写真集があって、
リブロとかの本屋に行くたびによくその写真集を眺めていたのだ。
そんなに高くなかったと思うのだけど、なぜ当時買わなかったのか
今思うと理由も全く思い出せず、不思議でならない。

もうずっとそんなことを忘れていたのに、
これも不思議なつながりといえばいえる。
ジャコメッリの世界が記憶の時間軸を揺さぶったのかもしれない。

『砂丘』は今でも買えるのだろうか、と買えたら買うつもりで調べてみたら
プレミアがついていた。ほんとになんで買わなかったのだろう?
その鳥取砂丘への旅は、今思えばタブツキっぽくて
しなびた食堂で、千葉からロータリークラブか何かの旅行で来たという
バブリーなおじさんにコーヒーをごちそうになったり、
砂丘の真ん中で、なぜか地元の青年と話し込んで港まで送ってもらったりと
なかなか思い出深い。

それにしても最近、自分のアンテナの向いた方向をたどると
二十歳頃の記憶(それもずっと忘れていた)に行きつくことが結構多くて、ある意味怖いです。
いろいろなことが一巡してしまったのかなぁ。
まあ、ようするに仕事に熱中するあまり若い頃の熱い気持ち(笑)を忘れていたのが、
ふと息をついてあの頃に思いを馳せる、な中年サラリーマンてことですけど!

マリオ・ジャコメッリ展
@東京都写真美術館
2008/3/15~5/6

これは去年たまたま本屋で見かけて、タイトルに惹かれすぎて南北メロドラマ考察<北編>_c0051457_22172179.jpg
この本を読むために読んだことのなかったジェイン・オースティン『偏見と高慢』を
とりあえず読んで臨みました。
『エマ』あたりも読もうかと思ったのですが、みーの英文学師匠S先輩から
「オースティンはどれを読んでも同じ。」の一言をいただき(笑)。

『~読書会』のほうはアメリカの小説で、6冊あるオースティンの長編小説を
6人の登場人物が毎月1冊ずつ、持ち回りでホストをしながら読書会を行うなかで、
それぞれの登場人物の人生がオースティンの小説と照らし合わされるように描きだされていきます。

『偏見と高慢』を読む限りは、オースティンの小説ってベタだな~と思う。
いかにも19世紀のイギリスの有閑なご婦人がたが楽しむような「恋のから騒ぎ」感。
お約束のようなすれ違いとハッピーエンド。
でもすごくうまくて、人物造形やら人間関係の機微やら
現代でも読まれるに耐えるだけの普遍性は確かにあって、
ぐっとくる、というのとは違うけれど、なかなか面白く読んでしまい。

だから、『~読書会』の登場人物であるアメリカのごく一般的な中産階級の人たちが
オースティンについて語る、っていうのもすごく分かる気がする。
6人の年代は20代後半~60代にわたるのだけど、50代と60代がオースティンに
入れ込んでいて、40歳くらいの唯一の男性とか、残りの2~30代のふたりが
ちょっと違った見方をしているのも。

登場人物それぞれのエピソードはアメリカ的な歪みを孕んでいて面白い。
そして、最後はこれもアメリカンなハッピーエンド。
単純に読書会をネタにした恋愛小説としても楽しめるし、
オースティンの小説の現代アメリカ的解釈とも読める感じで、
その重層的なつくりとか、巻末の読者ガイドとか
二世紀にわたって評論家や文学者などがオースティンについて
書き記してきた絶賛やら批判やらを集めて掲載してあったりとか
オタ心をくすぐるツボも押さえてあって、全米ベストセラーも納得、な感じ。
かなり気に入りました。
つうか、こういう小説がベストセラーになるのって、
なんか、やっぱり日本と違いますね。いいな~。

ま、ベタはベタでもプイグとは全然別物ですね。メロウ度は低め。
ベタにもお国柄、ってことで。

『ジェイン・オースティンの読書会』(2004)
カレン・ジョイ・ファウラー
矢倉尚子訳
白水社(2006)

全然知らなかったのですが、映画が今日から公開らしいですね。
うまくつくれていれば、結構面白くなりそうな気がしますが。。。
映画館に行ってみようかしらん。

久々にブックレビュー。ちょっと前の1月ごろに読んだのだけど、南北メロドラマ主観的考察<南編>_c0051457_2334940.jpg
最近のすっかりメロウモードにレビューを書きたくなった
プイグの『南国に日は落ちて』。1990年に亡くなったプイグ最後の長編小説。

80歳を過ぎた老姉妹の会話と、後半からは手紙と調査書のみで
構成されるいかにもプイグなテキストで、
これまたプイグらしいメロドラマが浮かび上がってくる。
饒舌で噂話好きな老姉妹は隣人の女性のロマンスや
ハンサムなガードマンの生活を詮索し、おしゃべりに花を咲かせる。
やがて妹は息子の転勤についてスイスへ移住し、その地で病死する。
家族のはからいでその死を知らされていない姉は
妹に向けて読まれることのない手紙で噂話のつづきを送り続ける。。。

プイグ作品はほぼ読んでいますが(しかし実は「蜘蛛女のキス」が未読。)
設定こそ違えど、語られることはある意味ベタなメロドラマ。
それをテキストをコラージュ的に再構成して、
徹底して間接的に浮かび上がらせることが、プイグの真骨頂というところで
決して読みやすくはないテキストを読み込んでいくうちに見えてくる
その哀切をたたえたまさにメロドラマには、たぶん南米という
すごく行きたいのにまだ見ぬ地への
メランコリックな個人的イメージも重なって、いつもぐっときてしまう。
ブラジルとかアルゼンチンの音楽を聴いていてぐっと来る感じと
私の中ではまったく同じで、その辺聴いているとプイグが読みたくなり、
プイグを読んでいるとやっぱりブラジルものとかソーサとか聴きたくなる。
しかもなるべくベタ目なやつ。『batucada sergiu』とかね~ 、ぐっとくるなあ。
なんだかんだいってもやっぱりメロドラマ的なものって好きなんですね、たぶん。
でも、何か日本のとかってそそられなくって (て、何があるのかよく知らんですが
ワビサビ文化体質で、根本的にメロドラマ的ロマン体質じゃないというか)
やっぱりメロドラマにはラテンが合うよな~と思うのですが。
てことで、前も書いたけど音楽はベタなハウスとラテンがループのメロウモードです。

で、ベタつながりで北の一冊。
カレン・ジョイ・ファウラー『ジェイン・オースティンの読書会』のことを後日に。

『南国に日は落ちて』(1988)
マヌエル・プイグ
野谷文昭(訳)
集英社/1996

すでにプイグが好きなひとにはお薦めプイグワールド。
ただし、読んだことない方には薦めません。
やっぱり『赤い唇』か『ブエノスアイレス事件』あたりからぜひ。
てか、『蜘蛛女のキス』なのかな、やっぱり。
訳が出ているので未読なのは、これとあと1冊なので
こうなったら最後に読もうかと思ってます。いつになるやら。
 

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